1: 小豆大福 2017/10/04(水) 17:05:34.37 ID:CAP_USER9.net
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 元会津図書館長の野口信一さん(68)は2日、会津戊辰戦争終結の翌月に567人の遺体が埋葬されたことを示す史料が確認されたと発表した。会津では「遺体は埋葬を禁じられ、長期間放置されていた」との説が浸透し、長州藩など西軍の非道ぶりを象徴するものとされていた。野口さんは「長州への怨念の最大の要因が取り除かれた。これを機に友好関係を築いてもらいたい」と話している。

 史料は「戦死屍取仕末金銭入用帳(せんしかばねとりしまつきんせんにゅうようちょう)」。1868年9月22日の会津藩降伏後、城下を統治していた民政局(越前、加賀、新発田藩など)から命じられた会津藩士4人が、人を使って、10月3~17日に567人の遺体を64カ所に埋葬したことが、34ページにわたって記録されている。

 会津藩士の子孫の家から1981年に若松城天守閣郷土博物館に寄贈されていた史料で、野口さんが事務局長を務める会津若松市史研究会が史料目録をつくるために調べたところ、埋葬の記録であることがわかった。

 文書には遺体の氏名や状況、服装なども書かれており、山本覚馬・八重兄妹の父親で戦死した山本権八に関して、埋葬者の中に「山本権八先生と覚(おぼ)しき人有」との記述もあった。

 会津戦争のすべての死者が埋葬…

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http://www.asahi.com/articles/ASKB24DYRKB2UGTB004.html
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引用元: ・【歴史】戊辰戦争、会津の遺体放置なかった?長州への怨念の要因

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